大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 .3 | 投稿日時 2014/11/8 19:47
sugio  長老   投稿数: 204
何年か前に北海道へ行き、観光でトラピスチヌ修道院を訪れた事があります。
修道女は厳しい戒律の中、俗世を離れ沈黙の業で過ごしているとの説明を聞き、
静かに佇むレンガ造りの建物、硬く閉ざされた扉の向こうでは、
どういう生活が繰り広げられているのだろうと、ものすごく興味が湧きました。
その思いは、宮崎に帰ってからもしばらくは続いて。。。
でも、その実態は文章でしか見ることが出来ないと諦めてしまっていました。

それだもんで、『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』の上映は嬉しかった。
ナレーションも無く、BGMもなし、ライトも自然光だけで
ひたすら修道士たちの禁欲と労働と祈りの世界を描く169分間は、
睡魔との闘い必至と覚悟して行きましたが、
意外に時間を感じませんでした。
余計な音が皆無のため、自然界や生活の中から生れる音がすごく新鮮に聞こえる。
モノトーンの中で、山の樹木や修道服の青、果物野菜の黄色、赤、緑が際立ち、
美しい映像は、中世の絵画を鑑賞しているような錯覚を覚えました。

言葉の無い沈黙の内面から、受けるものは具体的には分からないけれど、
鑑賞中に自分の中に、いろんな言葉が最後まで渦巻いていた。
何が修道士をあそこへと導くのか・・・少しだけ分かった気がします。

シネマに投稿することになってしまい、久しぶりに前の日から緊張して眠れず。
爆睡してしまうのではないかと心配していましたが、
眠らずにすみました。
観て、本当に良かったです。

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/11/10 8:24
hiro  管理人   投稿数: 219
 主人公はいない。ストーリーもない。それどころか、音楽もナレーションも場面の解説もない2時間49分。シャルトルーズ修道院とはどんなところか、修道士たちはどんな日常を送っているのか、それを見るためだけの映画である。退屈するかと思ったが、直前までパズルのような小説を読んで頭がヒートアップしていたので、このストーリーのない映像は逆に心地良かった。物語の後先を考えず、ただ画面を眺めていれば良いというのは楽なのだ。頭がリフレッシュする感覚があったのは世俗を離れた修道院を描いた映画だからではなく、環境映像やBGVと同じ効果なのだろう。

 映画は一にも二にも三にも筋、というのが映画作りで重要とされるのが普通で、僕らは映画を見るとき、ストーリーを追っている。これはフィクションに限らない。ドキュメンタリー映画でも監督は自分の主張に沿ってストーリーを組み立てる。音楽もナレーションもダメという修道院側から課された制限は映画を作る上で手足を縛られたようなものだが、だからこそ、修道院内部の時間の流れに身を任せることが可能になっている。そうせざる得ない映画なのだ。

 グランド・シャルトルーズ修道院はフランスのアルプス山中にあり、カトリックの中でも厳しい戒律で知られるカルトジオ会の男子修道院。映画は雪の季節に始まり、雪の季節に終わる。修道院の1年を描いたのかと思えるが、パンフレットによると、フィリップ・グレーニング監督が過ごしたのは2002年の春と夏にかけての4カ月と2003年冬の2カ月の計6カ月だそうだ。1年間のように思える構成は作為的なものだ。しかし映画のフィクショナルな部分はこれぐらいで、ほとんどはただカメラを回し、修道士とその日常を撮影している。

 「主の前で大風が起こり、山を裂き、岩を砕いたが、主はおられなかった。
 風の後、地震が起こったが、主はおられなかった。
 地震の後、火が起こったが、主はおられなかった。
 火の後、静かなやさしいさざめきがあった」(列王記19.11-12)

 冒頭に出るこの字幕とベルイマン映画の連想から、「大いなる沈黙」とは神の沈黙のことかと思った。そうではなく、修道士たちの沈黙の生活を表しているようだ。修道士同士は話すことを許されない時間が多く、1日のほとんどを個室で祈りの時間として過ごす。ほぼ自給自足の生活を支えるための労働もある。個室の小窓を開けて食事を配るシーンなど見ると、修道院の生活は刑務所と変わらないように思える。いや、刑務所以上に質素で厳しい生活だ。祈りと労働の日常に耐えられず、修道士の8割は途中で出て行くそうだ。去るのは自由、辞めさせるのも自由。それはこの映画についても同じことが言えると思う。必要以上に称賛する必要はないが、けなす必要もない。騒がしい日常から距離を置くには良い映画だと思う。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/11/21 19:38
haruko  長老   投稿数: 320
>>主の前で大風が起こり、山を裂き、岩を砕いたが、主はおられなかった。
 風の後、地震が起こったが、主はおられなかった。
 地震の後、火が起こったが、主はおられなかった。
 火の後、静かなやさしいさざめきがあった」(列王記19.11-12)<<

これは主への苛立ちか、とも取れるが、そうではないのですね。主は決して何もしないから、公平なのだと言う事なのでしょう。日本の隠れキリシタンの中でも、主は助けてくれない、、という言葉があったように思います。
何かをしてくれるから拝むのではない。
主は黙って何もせずに人間を導き諭す、と言うことなのでしょう。

固定の宗教を持たない私が、彼らの生活をどこまで分かったのか?
映画が終わっても、何も分からない自分がいました。
大いなる沈黙とはやはり神の沈黙のことであるような気がします。

ひたすら宗教に打ち込む人々が実は分かりません。映画の中の一人一人の修道士が立派なのかどうか、何を考えているのかも分からない。

穏やかな春の日のピクニックのような風景と、そこでの彼らのおしゃべりが、唯一私には美しく人間っぽく、いじらしく、切なく、愛おしく、感じました。

音のない静寂、、をあまり意識し過ぎていたせいか、鐘の響く音、牛の鈴の音、木を切る音、など結構大きな音に驚かされて眠気が吹き飛びました。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/11/23 20:35 | 最終変更
onitsuka  常連   投稿数: 63
「大いなる沈黙へ グランド・シャトルーズ修道院」★
 ネタバレ注意! 
 この文章は、映画の内容に、事細かに触れていることがあります。
読まれる方は、そのことを充分ご検討のうえ、お読みください。
 また、ちょっと長めに言わせていただきますと、映画を観るのに前情報を入れるのはいかがなもの“でしょう”?というのが、私の本音です。予告編とチラシと自分の直感、それとあとは、信頼できる友人からの口コミですね、そういう感じで映画を選んで観てほしいです。
 そして、事情は重々承知しているつもりですが、やはり、映画館でCMは流してほしくないですし、見たくないです。それに、映画は、基本、映画館で観るものだとも思います。但し、家計的にきつい人とかは別!これが、ま、私の心からの「叫び」「の・ようなもの」です。
 しつこいと言われることを覚悟しながら、怖さも感じながら、この前置きを書いています。そして、これは、これからここで書く全ての私の映画の感想の前に入れていきたいと思います。何故なら、それが、1映画ファンとしての、何ていいますか、恥ずかしながら、それなりのプライドとかいうものでございまして、また、映画の面白さや色んな楽しみ方を、お伝えし、広めていくことが、映画を再び心から楽しめるようになれた、私の使命?みたいなものじゃないかなと思うからです。
 “蒼”くさいでしょうか?
 出だしは、動かない人(少しは動くけれど)の映像で、ナレーションも音楽もなくて、例によって眠くなって、こんな気障ったらしい映画なんか観なくていい。大切な睡眠を摂りながら、観てやろうと思って、寝ていました。4分の1か5分の1は、寝たでしょうか。宗教なんか、糞喰らえ!という考えの、不謹慎、無宗教派の僕でした。
 途中、暗闇の中に、ほんのりと赤い光が出るショットが何回かあって、印象的だし、(井上陽水の「青い闇の警告」を思い出しました。)ビデオ画像のような荒い映像も、アクセント的に入ってきます。3回目に出た時には、またやってると思って、おかしかったけれど、4回目以降は笑いませんでした。
 中盤あたりから、修道士たちの生活の厳しさが、カトリックの厳しさとともに、人生の厳しさを描いているのかなと思っていて、修道士二人が散髪するシーンで、「ジャージー・ボーイズ」のクリストファー・ウォーケンを思い出し、さらに、当会員のYさんが、「かぞくのくに」で、ラスト、安藤サクラがキャリーバックを引っぱって歩くシーンを、北への“ファイティング・ポーズ”と書かれていたのを思い出して、これは、ひょっとすると、「イスラム国」に対する、静かなファイティングスピリットではないかと思えてきました。
 その後、雨粒が小さな水たまりたちに落ちてきて、雨になります。雨といえば、これは、もう、僕お得意の「七人の侍」(黒澤明監督/志村喬・三船敏郎ダブル主演)ではないかと思えてきて、これは、私風に言わせてもらえば、「イスラム国」への「七人の侍」ではないかと思いました。
 でも、そんなこと思わなくても、観終わった時、静かな、荘厳な気持ちにさせてくれる、心が洗われるような映画でした。これだから、映画は面白い。変な偏見を、自然となおしてくれる。但し、だからといって、別に、カトリックに特に肩入れするつもりは、毛頭ありませんけどね。
 終わりのほうで、修道士たちが、雪山で滑るシーンがあるのですが、雪山がきれいで、これは、おまけみたいなものだなと思って、「私をスキーに連れてって」(原田知世主演・姉妹出演)を思いました。そういえば、この後、原田がNHKのTVドラマで主演した「紙の月」を、「桐島、部活やめるってよ」(僕が立ち直るヒント・きっかけになった映画)の吉田大八監督がリメイクされて、公開されます。
 終盤、修道士一人一人の顔が、アップで映されて、そこで初めて、一言ずつ発言するのですが、その中で、盲目の人が、“盲目になったことをうれしく思う。見えないものが見えるから”と言った時、そうだろうなあ、僕も目、メチャクチャ悪いし、と思いながら、昨日から気になっていた、井上陽水の「自己嫌悪」という曲を思い出しました。レンタルして聴いて、「氷の世界」のアニヴァーサリー盤を買いました。
 そして、修道士たちの唯一楽しみな、食事のシーンになるのですが、白いスープのみで、ラストは、また、荒い映像でコップ半分の水が映されます。
 映画館が、くだらないスナックか何かのCMをやめてくれたのもうれしくて、上映後、一人小さく拍手しました。
 パンフレットを、「TOKYO TRIBE」以来、買ってしまいました。どんなことが書かれてあるか、楽しみにしていたのですが、そこでも、また、イラつくことがありました。
 この投稿は、大相撲九州場所で、白鵬が、大鵬の32回の優勝に並んだ生放送の最後のところで、「麦の唄」がかかって、感動していたのに、その後の「海外ネットワーク」で、イスラム国が少女の人身売買をしているという新しいニュースを見て、これは書かなくてはと思って書きました。FIN
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