サウルの息子

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/3/14 11:12 | 最終変更
hiro  管理人   投稿数: 218
 全体がボケた画面の奥から男が手前に歩いてきてピントが合う。カメラはこの男、主人公のサウル(ルーリグ・ゲーザ)とともに移動するが、サウルの周囲は相変わらずボケている。この被写界深度を極めて浅くした撮影はアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所で行われたユダヤ人の虐殺とその死体の処理の場面で徹底している。一人称に近いカメラの視点と動き、はっきりとは見えないサウルの周囲の光景。いたずらに残酷で凄惨な描写を目立たせないための配慮なのだろう。それでも十分に怖い。ガス室の扉を懸命にたたく音、泣き叫び、悲鳴を上げる多数の声。映画の序盤にある収容所内部の描写を見ていると、心が冷えてくる。

 パンフレットに掲載されたインタビューによると、ネメシュ・ラースロー監督は撮影監督のエルデーイ・マーチャーシュと次のようなドグマを決めたという。
「美しく見せてはならない」
「魅力的に見せてはならない」
「ホラー映画にしてはいけない」
「サウルの視点に止まり、彼の視力、聴力、存在を超えたフィールドに立ち入らない」
「カメラは彼の相棒となり、この地獄を通してずっと彼のそばにいる」。

 こうした撮影手法によって、収容所でどのようなことが行われていたのかをサウルとともに観客に体験させることが映画の狙いなのだという。だからサウルの息子をめぐるストーリーはこれを効果的に行うための手段ということになる。サウルはガス室で死ななかった少年が自分の息子であることに気づく。瀕死の息子は収容所の医師によって窒息死させられてしまうが、せめてユダヤ教の教義に基づいた埋葬をしたい。そう思ったサウルは収容されたユダヤ人の中からラビを探し始める。その過程で観客はサウルとともに収容所のさまざまな様相を見ることになるのだ。

 サウルが比較的自由に収容所内を動けたのは親衛隊から選ばれたゾンダーコマンドだからだ。ゾンダーコマンドは移送されてきたユダヤ人をガス室に送り込み、脱いだ衣服を集め、死体を運搬・焼却し、ガス室の清掃を行う。しかしゾンダーコマンドであっても、数カ月後には死が待っている。サウルも他のゾンダーコマンドもこうした作業を淡々とこなしているが、収容所が地獄のような場所であることに変わりはない。

 そうした状況下においてサウルは息子を見つけるのだが、仲間は「お前に息子はいない」と繰り返す。少年は本当にサウルの息子なのか。息子でなければ、なぜサウルは少年を息子と思い込んだのか。なぜ丁寧な埋葬をするために奔走するのか。息子の埋葬はサウルにとって生きる目的となったからなのだろう。絶望の中に現れた希望。というのは大げさかもしれないが、どうしても生き延びなければならない目的になったことは間違いない。ガス室に送られなくても、アウシュヴィッツでは飢えと病気で多くのユダヤ人が死んだ。過酷な状況を生き延びたのは希望を捨てなかった人たちなのだという。映画はラストで少年と絡めた不思議なエピソードを描く。それが一つの希望にもなっている。

 大量虐殺はナチスだけが行ったわけではない。アウシュヴィッツの後、インドネシアでもカンボジアでもルワンダでも同様の虐殺は行われた。人間は恐らく、そういう状況を招いてしまう存在なのだ。この映画を見ると、そういう状況を絶対に起こしてはいけない、全力で止めなくてはいけないという思いを強くする。
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