レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 .3 | 投稿日時 2009/1/24 22:46 | 最終変更
haruko  長老   投稿数: 320
1950年代の古き良き時代の希望に満ちあふれたアメリカが舞台。ケイト・ウインスレットとレオナルド・ディカプリオ扮する若い夫婦が郊外に念願の家を持つ。
革命の小道とでも訳すのか、その小道に建てられた白い小さな可愛い家。とにかく美男美女の若い二人は誰が見ても特別な夫婦であった。幸せそのもの何も悩みなど無い夫婦、、しかし、この二人に襲いかかる苦悩は、結婚した男女の誰もが1度や2度は考えされる悩みでもある。
夫と妻とで、かくも異なる視点。男と女、性の違い、結婚生活の矛盾、などなど考えさせられる事満載。
最近大人の男らしく毅然としたスターに育ったディカプリオだが、久々に銃も持たずアクションも無い、平凡な夫を見事に演じている。その喜怒哀楽の表情の変化に惚れ惚れと見入ってしまった。
ケイト・ウインスレットもしたたかに美しくしたたかに迫力満点。ディカプリオ危うし、食われそうになりながらも何とか食われずに生き残ってくれたディカプリオ。

夢中に惚れ込む男が居ないと映画はつまらない。映画の出来不出来だけで論じる合評なんてやはり気の抜けたサイダーだ。と、つくづく思い知らされたディカプリオの成長であった。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/2/2 20:50
kinsan  長老   投稿数: 276
「燃え尽きた」のは、ケイト・ウインスレットでした。
主役は、そして物語の中心は、ケイト演じるちょっと先進的な思考をする主婦だと思います。

現実を変えようとする(逃避しようとする)主婦。当然夫の意識や思考も配慮しているのですが、夫の方はそれ程の切実感はなく、現状に刺激がほしい、そんな感情しかもっていないのです。

この夫と妻の意識の違いが、徐々に亀裂を広げ、最終的には「離別」を生むことになります。

ケイトに同情せざるを得ませんでした。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/2/7 11:19
sugio  長老   投稿数: 204
レオナルド・デカプリオとケイト・ウィンスレットのタイタニックコンビが再び共演で話題を呼んでいる。
しかし、話はロマンチックなラブストーリーとは程遠い厳しい結末。
簡単に言えば、1950年代ある意味古き良き時代のアメリカを舞台に結婚10年を経た夫婦が、
倦怠期を迎えると同時に若かった頃の夢をもう一度取り戻したいとあがき苦しむ話・・かな。
夫婦喧嘩のシーンになんの共感ももてなくて(ここのところは人それぞれ感じ方が違っていた)、
私としては、愚かしい夫婦にしか映らなかった。
妻が抑えていた思いがあるきっかけからあふれ出し始め、平常心さえ怪しくなっていく。
夫もだれでもがある時期、安定の中で感じる不安な瞬間を日々の中で感じている。
どちらの気持ちも解らなくはないが、パリ行きの話が持ち上がるあたりからいっぺんにリアリティに欠けてしまい、
本当に同情の気持ちさえ失せてしまった。
なにより、話の中に幼い子供の存在が希薄である。有り得ない。とくに母親。
私にはあの気持ちの動きは理解できない。なので、夫が「精神病院に行け」というのは正しい言葉だと思う。
しかし、そうは言ってもあのシチュエーションでのあの言葉は単なる暴力でしかないけど。

とにかく後味の悪い映画だった。
でも、面白くなかったのではなく、、どちらかと言えば面白かったのである。
なんと言っても、主役二人の演技力!!すごいっ。
秀逸は激しい言い争いの翌日の朝食の場面。
あれは下手な役者では表現出来ない名シーンだと思った。
すごいっ!そのシーンを観るだけでも価値があった。
そこだけはもう一度みたいと思う程。
あと、脇を固めるキャシー・ベイツ、その息子。特にこの精神を病んだ息子役のマイケル・シャノンは光っていた。

役者の演技を堪能するにはお薦めの作品だと思う。
そして、デカプリオには惚れ直しました。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/2/8 9:02
mk2  半人前   投稿数: 29
久しぶりに劇場に足を運んで映画を見る、ということになったので、面白いといいなぁ、とどきどきしながら観ました。

お話は、上記で皆さんが書いているとおり、裕福でベトナムの挫折も知らない明るい明るい時代のアメリカでの、行き詰まりを迎えた夫婦が現状打破のために無謀なことをしようとして、結局二人の間での折り合いがつかなくて破滅を迎える、というモノ。特に新しくは無い。

この時点で、子どもが小学生くらいで毎日成長してるのを見るだけでも楽しいだろうに、なぜ行き詰っちゃうんだろう、と理解できない。そして、「自分たちは特別な夫婦」だった、と「思い込んでいた」過去にどっぷり逃避してしまう幼さがまた、理解できない。
でも、閉じ込められた主婦のエイプリルは、自分の伸びしろを活かしたいという向上心が抑えられて苦しいんだな、ということは良くわかった。

よくあるパターンならここで子どもの教育に熱心になったり、巨大なパッチワークを作ったり、キッチンドランカーになったりするんじゃないでしょうか。で、女優になりたかったエイプリルは素人芝居に出たけど失敗。

冒頭、慰めようとしているフランクのせりふは、そういう気持ちを抱えていたエイプリルにとっては慰めでもなんでもない。「私をここに閉じ込めた(その真偽はともかく、エイプリルはそう思っていたし、映画後半でそんな話もあったし)あんたが言うな」と思ったろう。それを察しないフランクはひょっとすると慰めてあげてる僕って偉い、くらいは思ってたかもしれない。振り返ってみたら、ここでもう、はっきり二人の関係が浮き上がっていた。もがくエイプリルと、高みから「もがく妻に付き合ってあげている」尊大なフランク。

現代日本とこの部分で大きく違うなー、と思うのです。今なら、エイプリル仕事すればいいじゃん、という話になるし、離婚することだってできる。すぐに仕事についたり離婚したりできなくても、そういう目標を持つことはできるし、前例もたくさんあって心の支えには事欠かないのだし。
だから、二人の決断・行動に共感はできない。なにより子どものこと全然考えていない時点でよくわからない。

でも面白い部分はたくさんあった。それが二人の芝居と、喧嘩のやり方と、不動産屋の息子のジョン君のツッコミ。二人とも、結局ウソの理由で喧嘩をしているのだ。エイプリルにとっての「フランクはパリに行きたい」という主張も、フランクの「子どもは生むべき」という主張も、結局は本音を出さないためのウソの理由。そしてフランクはエイプリルに表面上は乗っちゃうけど、エイプリルは引かないで、フランクへの感情はがらっと変わってしまう。

これはエイプリルの性格もあるだろうけど、基本的に男女の違いのような気がする。男性のフランクはここでも、とりあえず奥さんに付き合ってあげてるわけだ。だから積極的にはなにもしない。エイプリルの提案に乗ってみたことで、いつもより刺激的な日常を味わえているのにずるいなー。

その挙句、後半で混乱したエイプリルに「頭がおかしい」とか言い出して、ちゃんと避妊しなかったあんたに半分以上の責任があるでしょうに、畳み掛けるような言葉の暴力。
その後の「本当は堕胎して欲しかった」とか「僕が嫌いならなんでこの家に君はいるんだ」とかも、ただ攻撃するためだけの台詞で、まさに言葉で殴りつけているよう。分かり合うため、もしくは何か目的を達成するために喧嘩をする女性と、勝つために喧嘩をする男性との違い。目的のために手段を選んでいる女性はただ勝ちたいだけの男には太刀打ちできないな、と改めて思う。

それにしても、こうして二人の絆は完全に砕け散ったのだった、と、そこで終わらないであんなラストになったのは、正直意味不明だった。エイプリル、どうしてあんなことを・・・二人のこれからの生活のため、なんだろうし、前日のフランクの台詞も尾を引いてたのだろうけど・・・ここんとこ、合評会でもっと聞けばよかったなぁ、と後悔してます。ケイト・ウィンスレットは最高にキレイでした。
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