希望の国

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/10/26 12:32
d0yaga0  一人前   投稿数: 90
 
単純に良いとか悪いとかでは語ることができない別次元の作品だった。
園子温監督の近作にあるようなエロチシズムや狂気は一切登場しない。
描かれるのは原発事故に翻弄される家族の姿だ。
事故によって壊れていく家族をカメラは淡々とフィックスで見せていく。
表現者として今何をすべきなのか、何ができるのかを悩みながらもちゃんと描いた監督の姿勢は賛辞されるべきだと思う。

主演の老夫婦の存在感は圧倒的。
夏八木勲の時折みせるその佇まいや表情はまるで聖人君子の如く清らかで知性にあふれており、それに対する大谷直子も可憐で壊れやすい聖少女のようなあどけない表情をみせる。このふたりだからこそ、彼らと彼らの家族を襲う悲劇がこの上ない惨劇として観る者の心にグサリと刻み込まれる。夏八木演じる泰彦が息子に言い放つ「生きていれば杭が打たれる」ということを観客に体験させるかの如く。

映画では様々なものが「繰り返す」。
長島県(長崎と広島、そして福島の意味があるとか)で繰り返される原発事故。そしてその事故に対する政府の対応。マスコミによる情報操作。人々の関心が薄れていく様子。認知症の智恵子(大谷直子)の「おうちに帰ろう」、「一歩、一歩」という言葉。ラストの寄せては返す波。
いろいろなものが繰り返され、観る者はそれに驚き、憤慨し、涙する。

園子温監督は『愛のむきだし』や『冷たい熱帯魚』、『恋の罪』といった作品で狂気を表現せしめた。
以前から園子温の描く狂気はロジカルさというかある種のわかりやすさがあると感じていたのだが、今回の映画製作を追ったドキュメンタリー番組、『映画にできること 園子温と大震災(NHK:ETV特集)』を映画観了後に見て確信した。園子温監督は自身が非常に真面目な人なんだと思う。こと表現する行為に対しては彼は真摯であり実直であり真面目だ。
この映画を製作するにあたり被災地に何度も足を運び取材したこと。風化させないためにとにかくフィルムに焼き付けることを今も続けていること。完成した作品をワールド・プレミア上映と称して協力いただいた被災地の家庭で最初に上映したこと。そして彼らのラストシーンに関する感想に耳を傾け、監督の言葉で説明をしたこと。

前作『ヒミズ』で被災地のシーンをいち早く取り入れたのは興味本位などではなく、彼自身の表現者としてのプライドがそうさせたのだと感じずにはいられない。僕は映画『ヒミズ』の初見時に、幾度となく登場する被災地のカットは物語の構成上多すぎなんじゃないかと感じた。でもこうして僕自身の震災に対する記憶が薄れゆくことを鑑みると、監督は2011年に製作したこの作品の中にワンカットでも多く地震直後の被災地を記録したかったのだと気付く。物語のリズムが削がれようが、不謹慎だと思われようが、「未曾有の大災害直後にこれらを記録せずに何が表現者だ」と言わんばかりに。

『ヒミズ』ではラストに混沌とした暗闇に幽かな希望を照らしてみせる。
それはどんな大災害でも人々がそれを願えばいつしか復興するのだと思えるし、そう願いたいからだ。
本作ではそのような明確な希望は明示されない。
むしろ『希望の国』というタイトルがアイロニカルな感じさえ受ける。
「この国に『希望』を感じ続けるためにあなたなら何をしますか?」と監督に“この上なく真面目に”尋ねられたような気がした。
 
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